代案無き否定は許されざるべきか
ちょっと仕事中のネットサーフィンで見かけたので。
目新しい意見ではないのだが、
これはどうだろう、というのが私の意見。
というのも、
否定するならば代案を出せ、
と言われたら、
感情を押し通すために
代案を立てる輩が出てくる事が予想されるからだ。
感情的な否定を行う者にとっては、
渡りに船だろう。
論拠は何でも良いのだ。
ついでに言えば、代案の中身も何でも良い。
だからこそ、否定の理由こそが大事になってくると思う。
代案の有無はこの際置いておいてよい。
現行案ではこの様な穴がある、
なので、代案を考えるべき、
でいいのではないだろうか。
完璧に考え終えた案を
ただの視点の違いだけでぶつけ合う会議なら、
しなくてもいいんじゃないだろうか。
事前に案を集めて、決選投票だけすれば
事足りてしまうのでは?
とか思っていたりするので、
大体、会議中の私の発言には代案が無かったりする。
有意提言、その案には穴がある。
代案を会議にて決定せよ。
とかでいいんじゃないかなあ。