愚者の能書き

愚か者が愚かなりに考えたことを記録する

往々にして今年の抱負に挙げた目標は達成されない

今週のお題「2019年の抱負」


往々にして今年の抱負に挙げた目標が達成されないのは、達成するべく努力していないからなのだが。
まあ、言うだけ言ってみればいいじゃないか、と思うことにして、ここに今年、2019年の抱負を述べよう。
……決して、年末に、ほら、達成できなかったでしょ、というためのフラグでは、ない。



こんなところかな。

小説家になろうに小説を投稿する

個人的には、今更かよ、っていう気もしないでもないんですけど、まだ諦めきれてないんですよね。
書きたい物語があるというよりは、自分が面白いと思う物語を書いて、他の人に面白いって言ってもらいたい、っていう、自己顕示欲というか、承認欲求を満たしたい、っていう気持ちの顕れ、ですかね。
音楽でもスポーツでもなく、流行りのVtuberでもなく、小説が良いんです。
一般文芸じゃなくて、ラノベが良いんです。

積読を30冊取り崩す

そろそろ本気で本を置く場所がなくなってきています。
今後も増えていくでしょうから、少なくとも増えるのと同じペースで読んで、面白くなかったものは売るなりなんなりしていかないといけません。
……え? ぜんぶ面白かったら?
もうしょうがないから、トランクルームでも借りますよ!
それから、インプットしたなら、アウトプットもしたいですね。

出かける前に色々下調べして、ツーリングやドライブをもっと楽しむ

年始に車中泊旅行に行ってきたんですが、まあ下調べなーんにもしないで行ったもんで、あっちこっちというよりは右往左往という感じでわりと時間を無駄にしてしまいましたし、後から調べてみて、あー、あそこ行ってみればよかったーなんてことがあったりしました。
それと、特に車中泊の時にやりたいことなんですが、景色のいいところをその日の寝床と早めに決めて、そこで椅子でも出してのんびりしたいんですよ。
あくせくあれ見たりこれ見たりもいいんですが、ちょっとのんびりして、それこそ本でも読んだりしたいんですよね。
とにかく、先のことを気にしてあたふたしたくないんです。
そういうのは仕事だけで十分です。

pythonC++Javaで中級者になる

たいへん残念なことに、やっぱり昨年の年末ジャンボは当たりませんでした。
投資も始めてみましたが、劇的に儲かるなんてこともありません。
なので、仕方なく、仕事で食いっぱぐれないよう、勉強しようかなって。
仕方なく、ですよ?
あー、働きたくないなあ。
かといって、そうなるためのキツイ努力とかもしたくないよなあ。
どこかに困ってるアラブの王族とかいないかしら。
サクッと助けて高額小切手切ってくれないかしら。

選んだ言語にさしたる根拠は無いんですが、現在の主要言語がCなので、もう少し現代のトレンドに寄せていこうかなって。
いい加減、いろんなことの初心者、初級者を脱したいなあ。

基本情報技術者試験に合格する

社会人になって2年ほどは申し込みしてたんですけどね。
試験当日はなぜか休日出勤するハメに……。

最近、会社の後輩たちがぼちぼち基本情報取り始めましてね。
一応上級職なのに、さすがに無免許はまずいだろうな、と思いまして。
本来なら、応用でも取るべきなんでしょうが、とりあえずということで。
業務経験が何年だろうと、よほどのことが無い限りは、勉強しないと合格できないのが基本情報だと思うんですよね。
深さは無いが、広さだけは広範なんですよね。
法律とかマネジメント関連は鬼門です。
勉強しないと。




とまあ、こんな感じです、今年の抱負。
はんぶんくらい思い付きで書いたので(オイ)、ことあるごとに見返して、精進していこうと思います。

愚者、能書く。

お題「これって私だけ?」

Writing


愚者たるもの、能書きを垂れねばならぬ。

私は書くことが好きだ。
とにかく書くことが好きなだけで、何か意味のありそうなことを述べたりとか、面白かったり、伝えたいことがあるわけではないのが目下の悩みだ。

私は組み込み系のエンジニアだ、と言って世の中にどれくらい通じるのかわからない。
その仕事は、プログラミングしたり、半田付けしたり、オシロスコープという道具を使って信号を取得したり、それを解析したりする。
さらに、設計したり、作るものの部品を選んだり、部品メーカーに文句を言ったりもする。

で、それらすべての仕事について回るのが、ドキュメントを書く、という作業だ。

私は、このドキュメントを書く作業が、けっこう好きだ。

じゃあそのドキュメントも中身が意味不明だったり、うまく説明できていなかったり、読み辛かったりするのかというと、そんなことはない。
自画自賛ではなく、レビューという行為を通じて得られた他人からの評価だ。

そういったドキュメントと、例えばこの記事のような駄文の何が違うかというと、究極的には書く目的が決まっているかどうか、という点にあると思う。

仕事で書くドキュメントには、それぞれ役割も目的もあって、前もって決まっている。
書くときは、わかりやすくだとか、過不足なく書くとか、そういうこと以前に、どういうことを書けばいいのかが決まっているのだ。
そういうときは、わりとすらすらと書ける。

対して、私のブログはどうだろう。

実のところ、書きたいから書いているだけで、何か目的とか、伝えたいことがあるわけじゃない。
何度でも言うが、書きたいから書いているだけなのだ。

目的があるわけでもないくせに、こうして適当に言葉を並べているうちに、ああでもない、こうでもないと推敲を始める。
で、面白くないなとか、意味不明だなとか、そういうことを考えて書くことをやめてしまったりする。

実は、というほどの話でもないのだけれど、私はラノベ作家になりたかったりする。
ラノベを読むのももちろん好きなのだが、面白い話を読んでもつまらない話を読んでも、自分で書きたくなるのだ。

で、やっぱりあらすじすらろくに書けないままに書き始めるのだけれど、あっというまに書くことがなくなる。

じゃああらすじから書き始めるとどうなるか。
どう考えても面白くなさそうな筋書きが出てくる。
やっぱりすぐに書けなくなる。

お題スロットで、「これって私だけ?」が出た。

ブログなんて、こう言ってはなんだけど、たいていのブログはさして面白くない。
可笑しさ、という意味だけでなく、興味を引かないブログがほとんどだ。

何を偉そうにお前が語るのだ、と思うかもしれない。

しかし、やはり面白くない記事ばかり書く我が身を省みて、実は私だけではないのかもしれない、と思い至った。
じつはみんな、書きたいから書いているだけで、コンテンツとしてこうありたい、というのがある人は珍しいのではないか。
みんな、語ってみたいから語っているだけなのではないか。

なら、私が書きたいから書きたいだけ書いても、なんら問題ないな。

そういうわけで、今日も私は能書きを垂れるのだった。

以上。