愚者の能書き

愚か者が愚かなりに考えたことを記録する

実は女性は自信に満ち溢れているのではないかと思った話


 日本に限らず、特にビジネスシーンにおいて、男性に比べ女性は自分に自信が持てない、という言説が流布されて久しい。
 私自身の体験としては実感に乏しいものの、性別を隠して就職活動をさせてみた結果、男性は性別を隠していない時よりも良い結果となった社会実験の話(※)などを聞くにつけ、そういうものかと思ったりしていた。
 ※男性は断られても粘り強く就職活動を続けたのに比べ、女性は自身の無さから諦めてしまい、就職に結びつかなかった、というものらしい。


 しかし、である。
 常日頃見慣れている、とある光景を今日も目にしたのだけれど、そのことで天啓を得たような気分になった。




 実際のところ、世の女性というのは、自信に満ち溢れまくっているのではないだろうか。




 本日も目にした光景というのは、以下のようなものである。

 某県某所にて、車に乗る私の目の前を、信号を無視した若い男女が横切った。
 慌ててブレーキを踏んだ私は、思わずクラクションを鳴らしてしまった(これは本来いけない行為だ)。
 すると、男の方がこちらを振り向き、私と目を合わせてきた。
 車内から私が歩行者用信号を指さして赤であることを指摘すると、男は申し訳なさそうに軽く頭を下げた。



 その後ろで、女は、知らん顔をしていた。



 またしても別の某県某所にて、私は信号待ちで停車していた。
 直交する道路に横断歩道はあったが、歩きスマホに夢中なその女性は、明らかに横断歩道を外れ、車道を歩いていた。
 ブレーキを踏まざるを得なかったドライバーがクラクションを鳴らすと、その女性はようやく顔を上げた。
 状況を把握したのか、慌てた様子で横断歩道へ戻り、渡り始めた。



 女は、渡り終わるまで3回、クラクションを鳴らした車を振り向いては睨みつけていた。





 路上で、駅構内で、交通の妨げになっている女性が、いざそれを(ぶつかられたり指摘されたりクラクションを鳴らされたりして)知らされると、ぽかんとしたり、悪びれることなく睨みつけたり、悪態をついたりする場面というのは、もういやというほど見てきた。
 女性というものの大半は、もうきっとそういう風にできているのだと、傍観者的に諦めていた。


 しかしである。



 ふと気が付いたのだ。



 私は、私なら、そういう、ぶつかられたり指摘されたりクラクションを鳴らされたりしたら、自分に悪いところがある、自分になにがしかの事象の原因があるのだと考える。
 まずは考える。
 もしかしたら私は悪くないのかもしれないが、とりあえず自分が悪いのだろうというところから入る。





 先に示した女性たちは、一般的な常識で考えて、自らが原因であると、自分が悪いのだと、すぐにわかる事例である。
 そう私は考える。
 しかし、彼女たちは、そうは思っていないようだ。
 そうでなければ、あのような反応は見せないはず。



 つまり、自分が悪いとは、露ほども思っていないのだ。





 これって、すごいことじゃないだろうか。
 ものすごい自信でもって、自らが正しい、間違っていないと、そう思っていなければできない反応なのではないだろうか。

 女性は自信に満ち溢れているのだ。





 ふと思い返してみる。
 女性は、好みでない、キモいと思う男性から異性として見られる、交際の申し込みなどをされることを、不名誉なこと、キモい、セクハラだ、などと思う。
 それは、裏を返すまでもなく、そんな男より自分は上位の存在であるという、絶対強固な価値観だ。
 これが自信でなくて、一体なんだというのだろう。



 ビジネスシーンでだけ猫を被るのはなぜなのだろうか。