卑怯者はどっちだ
実際に紐解いてみたところ、昔の手帳にはそんなにたくさんはメモしてなかった格言シリーズ。
今回のは最近の読書から。
「卑怯なのは君の方だ。自分で事態の打開をするわけでもなく、対案を打ち出すわけでもないのに、ただセンチメンタリズムで他人を批判している。可哀想だからなんとかしろと喚いている。」 八代通遥 p.173
- 作者: 夏海公司,遠坂あさぎ
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2015/11/10
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原発、オスプレイ、沖縄基地問題、デモに、保育園落ちた日本死ね。
もちろん「本物の意見」も含まれているのでしょうが、大半は「可哀想だからなんとかしろと喚いている」状態だと思っています。
僕はこれが、自らの(本当の)無知・無能をウリにするテレビタレントと同じくらいに嫌いです。
こんなに弱い僕だから、なんとかして。
こう言っている様にしか聞こえないんです。
なので僕は無慈悲にこう応えます。
「嫌です。自分でなんとかしてください」
以前、生活保護ネットワーク?みたいな名前の市民団体?のようなものから電話がかかってきました。
曰く、助け合いを信念に活動している我々の代表に清き一票を、的な。
もちろん僕は断りましたが、何故か相手が、なんでじゃー! と食いついてきまして。
なんでじゃーもなにも、自分の財産を自分のために使えない様なシステムを作ろうとしているやつに、なんで投票しなきゃならんのかと。
何かあった時、あなたも困るでしょう、と言われましたが、僕はそれにも素直に、そうですね、と答えました。
相手は、でしょ、でしょ、だからね、と続けてきましたが、僕はそれとこれとは別です、もうお話しすることはありませんと電話を切りました。
強者かどうかは知りませんが、確かに僕の意見は現状の立場からの意見でしょう。
それは全くもって同意します。
じゃあ相手の立場に立って考えてみて、と言われても、僕は非常にありがたいことに、幼少期は両親のおかげで、就職後は自らの働きにより、深刻な貧困や飢餓に喘いだことがありません。
想像くらいできるだろ、と言われれば想像くらいしますけど、法律とか論理とか僕の信じる正しさとかを捻じ曲げていい理由にはなるかもしれないと想像はできますが、じゃあそれを許容せよと言われたら、やっぱりダメです、と言うしかないでしょう。
というか、たぶんですけど、僕の場合、そういう立場になってしまったら、わりとあっさり死を受け入れそうな気がします。
話が逸れましたけど、じゃあ、逆に、こっちの立場になって考えてみてくださいよ、あなたは誰かが、困っているからこちらからはなにもしないけど助けて、って言われたら、自分のリソース手放せますか。
後続の誰かのために、いつか返ってくるかどうかもわからない何かのために投資しろと言われても、ちょっと難しいんじゃないですかね。
無駄に熱くなって話が逸れまくっている気がしますが、兎にも角にも、「建設的な話し合い」が出来ないんじゃあ、こっちも相手しないよ、っていうのが僕のスタンスです。
「保育園落ちた日本死ね」は元々はそうですが、空に向かって叫ぶのは個人の自由なのでいいんです。
ただ、己の弱さを武器にして、他人の人の良さに付け込むようなやり方は気にくわない。
ああ、これはいいんですよ、別に。
僕は足元に掘った穴に向かって叫んでるだけなんで。