愚者の能書き

愚か者が愚かなりに考えたことを記録する

電車内での化粧に思う、不快と迷惑、マナー違反


以前、こんな記事を書いた。


fooltheapril.hatenadiary.jp

電車の中で、というよりは、目の前で化粧をされると、自分という存在に敬意が払われていない(※)と感じるから、という理由で不快です。
(※)別に、尊敬して欲しい、敬って諂え、と言っているわけではないです。
  こちらを尊厳ある人間として扱って欲しい、というだけです。


で、なんか最近、こちらの広告が話題だそうで。


ii.tokyu.co.jp

www.sankei.com

いわゆるマナー広告という奴ですな。
「教養がない、みっともない」ので車内で化粧するのはやめましょう、と。
教養がない、というのは、つまり、車内では化粧をするのはいけないことなのでやめましょう、と習うべきことを習っていない、というのを指している、のか?
みっともない、というのは辞書通りの意味でいいなら、見た目に悪い、体裁が悪い、見苦しい、の意味。


教養がないかどうかはわからんが、伝統的に、公共の場で身嗜みを整えるのはエチケット違反と考えられているな、たぶん。
まあ、だからこそ、みっともない、という感想が出てくるのかもしれん。


誰に迷惑かけてるわけでもないんだからいいだろ、という意見には、誰もいなけりゃ交差点で全裸になってもいいのか、と問おう。
しかし、じゃあ、車内での化粧はみっともないからやめろ、というのを他人に押し付けていいのか、というと、その理由はないだろ、と思う。


粉が散る、急停車した時にマスカラや口紅が隣の人に付いたらどうするんだ、という理由でなら、まあいいと思うんだが。
少なくとも、僕みたいに、自分という存在に敬意が払われていないと感じるから、みたいな、不快だから、は理由にならんと思うのだ。




迷惑とマナーはイコールじゃないよね?

こんなん発見しました。


business.nikkeibp.co.jp

書いてあることの一部にはうなずける。


要約

タイトル:「マナー広告」

駅員という「決して反論できない人間」に詰め寄るクレーマーは、人間としては明らかな卑怯者である。
鉄道会社が卑怯者のクレーマーに迎合することは、結果として、一般の乗客をスポイルしてしまうことになる。
しかし、鉄道会社は、もっぱらクレーマーの目線に配慮した姿勢でマナー広告を制作している。
このマナー広告は、クレーマー対策、つまりアリバイ作りである。


マナーやモラルを語るとき、そこに当事者意識は無く、他人事である。
車両内のマナーについて言い立てる人のマナー違反行為とは、公共の場所にプライベートを持ち込む逸脱行為を指している。
自分と同じく窮屈な思いをして黙って詰め込まれていることを我慢していないことに我慢ならないという心理が働いている。


昭和に比べて乗車マナーは向上しているが、マナー違反に対する寛大さが失われている。
他人が自分と同じでないことに対して、もう少し鷹揚であっても良いはずだ。


公共機関たるもの、迷惑だからという理由で客を排除したら、公共機関足りえない。
他人の迷惑をいやがるのではなくて、同じ車両に乗る乗客の負担を分かち、移動や乗車が困難な乗客を助けなければならないはずなのは乗客のほとんどが分かっている。
それができないのは日本の通勤時間帯の電車があまりに混みすぎているからだ。
スペースがないという物理的な問題を「マナー」で解決しよう、というのは、根本的に方向が間違っている。


化粧が迷惑か否かは状況によるものであって、そのこと自体についてはこれ以上論じない。
化粧なんてささいな迷惑を糾弾することで乗客同士の摩擦を煽るあの広告まじ許すまじ。



感想

広告が真に言いたかったことは、車内での化粧は戒めるべき、ということではなく、鉄道会社としては注意してますよ、うちに車内の化粧のクレームいれないでね、ということか。
マナー広告がクレーマーへのアリバイ作りという意見や、乗車マナーに言及する人の言うマナーの意味、物理的な問題を「マナー」で解決しよう、というのは、根本的に方向が間違っているという意見には同意する。


ただ、なんというか、的外れに思える点も結構あったりして、結局、納得感は結論に至るまでの間に薄れていく。
迷惑とマナーは決してイコールじゃないと思うんだが。



昭和に比べて乗車マナーは向上しているが、マナー違反に対する寛大さが失われている。
他人が自分と同じでないことに対して、もう少し鷹揚であっても良いはずだ。


そもそも、マナーとかモラルとか常識とは、逸脱への許容や寛大さを減じる方向へ働く集団心理ではないのか。
本来であれば、違反者を諭すことで逸脱を修正するのが本来の流れだと思う。
なのに、叱ること無しに断罪している、という点に対しては寛大さや包容力が低下していると言える。
ただ、それに関しては、先に修正の機会が失われたという経緯があると感じている。
的外れとしか言いようのない声かけ事案などがそれに当たる。
この結果、違反者に対する修正の手段がクレームしか無くなってしまったのではないだろうか。



鉄道会社が卑怯者のクレーマーに迎合することは、結果として、一般の乗客をスポイルしてしまうことになる。


たしかに一部には行き過ぎたクレーム行為があることは否めないが、多くの人は口に出さないだけで、多かれ少なかれ不満を抱えているものだ。
その不満がクレームと、天と地ほどもかけ離れているケースはまれなのではないだろうか。
今回の化粧の件も、快哉を叫んでいる人だっているはず。
なんか飛躍があるように思える。



公共機関たるもの、迷惑だからという理由で客を排除したら、公共機関足りえない。


お客様は絶対唯一神ではないという風潮がちょっとずつだが出てきている現在、この理論は通るのか、通すべきなのか。
官営ならともかく、民営なのだし。
同じ料金を支払っているのだから、同一のサービスを受けられるべきなのは間違いないのだが、迷惑な客には金を払ってもらってもサービスを利用させない、というのはありなのでは?


他人の迷惑をいやがるのではなくて、同じ車両に乗る乗客の負担を分かち、移動や乗車が困難な乗客を助けなければならないはずなのは乗客のほとんどが分かっている。


こちらの助力を前提にしているのは間違っていると思うけど。
困っている人を助けるのは助ける人の善意であって、義務ではない。



結論を述べる。
マナー広告は、むしろ“迷惑”を歓迎するマナーを啓発しないといけない。
最大の問題は、人間に荷物のマナーを強要する日本の都市構造や勤務体制にある。だからといって心の底から荷物になっていいものなのか。
わたくしどもは迷惑をもたらすお客様を歓迎します、と、ウソでも良いからそう言うのが、大人のマナーってものだぞ。


弱い駅員に詰め寄るクレーマーは最低だと言ったその口で、まず最初に鉄道会社が泥を被るべき、と宣うのか。
物理スペースの問題が根底にあるとするなら、各企業に東京から出て行けとか定時出退勤やめろとか言うべきじゃないの。



本を読んでいる人は気にならないのに化粧は気になる。
結局、見慣れているかどうかだけの問題なんでしょうか?


何言ってるんだ、こいつ。




「みっともない」とマナー違反はイコール?

togetter.com

コメント欄も含めて、考えさせられます。
前述の日経の記事に、女優の高樹沙耶と相棒の再放送中止を持ち出している箇所がある。
これ、碧志摩メグや駅乃みちかも同じだよね。


fooltheapril.hatenadiary.jp

みっともない、って感覚、これは歴史的な経緯というか、これはよろしくない、っていう社会の中での判定の時間的な積み重ねから生まれるものだと思う。
マナーも、人が集団で暮らすうえで、なるべく摩擦無くやっていくための蓄積で、これを守っておけばとりあえず失礼だぞてめえ、って胸倉掴まれることないよ、ってことだよね。


僕は碧志摩メグや駅乃みちかにエロスを見出す側に問題がある、というか、見出した側で処理すべき、と結論付けたけど、もし碧志摩メグや駅乃みちかがエロいとなったら、マナーの問題で公共の場に出すべきでないって言われたら、はいそうですね、としか言えない。


fooltheapril.hatenadiary.jp

ただ、電車内の化粧については、実際に列車の運行に影響を出す迷惑を掛ける撮り鉄と一緒で、碧志摩メグや駅乃みちかはチョコミントだと思うんだよね。




結論ってか何が言いたかったのかというと


不快だから、っていう理由で誰かの行動を制限するのは間違っていると思う。
けど、不快という感情を隠して、実害を挙げて迷惑と言って、その不快を退けることは可能。
すごくずるいと思うけど、気分を害する以上の実害があるのだから、それは受け入れざるを得ないと思う。
ずるいと思うけど。