結局は不信「感」
どうも、俺です。
今日は体調不良のため、全休致しました。
風邪か早めの花粉症か迷ったんですが、飲んだ風邪薬が効いているので、風邪でしょう。
暇に任せてネットサーフィンしていたら、興味深い記事を見つけました。
今日は、痴漢冤罪の話をしようかと思います。
目次
痴漢=冤罪と思ってしまう理由
怖いですよね、痴漢冤罪。
いつか自分の腕が掴まれるんじゃないか、そうヒヤヒヤしながら通勤しているサラリーマン諸氏はたくさんいると思います。
自分は何もしていない。何も悪いことをしていない。にもかかわらず、最悪の人物に仕立て上げられてしまう恐怖。
これがあるから、多くの男性諸氏はまず冤罪を疑うのでしょうか。
それはもちろん、あると思います。
多くは自己同一視からの投影でしょう。
普通の人は痴漢なんてしませんから。
ただ、ちょっと思い出してみてください。
痴漢冤罪の構図って、何かに似ていませんか?
若き、いえ、幼き日に体験した、あれです。
そう、学級裁判です。
学級裁判
この漫画で描かれるのは幸せな裁判です。
少なくとも公正さは欠かない裁判なので。
そっちじゃなくて、こっちです。
学級裁判とは、女子児童(たまに男子児童からもある)のチクリを根拠とする、中世ヨーロッパの魔女裁判にも似た弾圧裁判である。主に口頭弁論により裁判が行われ、判決を下すにはクラス全員一致の裁決を必要とするが、判事である担任の独断によって刑罰が下されることも少なくない。通常の司法権と違い、単なる事実の存否や個人の主観的意見の当否、学問上の論争も対象となる。裁判員裁判のベースとも言われている。
あるいはこっち。
でしゃばり女子が、待ってましたとばかりに手を挙げて告発します。大抵このコーナーで告発する人物は決まっていました。いつだって告発するのは女子で、告発されるのは男子なんです。
男性諸氏、どうですか?
もうお腹痛くないですか?
わけもなくガタガタと震え出し、背中にビッショリと汗をかいていませんか?
立派なトラウマ、PTSDですね!
いわゆる帰りの会とか、帰りの学活とか呼ばれる場で繰り広げられる吊るし上げ、リンチ、魔女裁判のことですね。
さすがに小学校の高学年ともなると、いかにおバカな男子といえども、論理性を身につけ始めているわけですが、これが見事に通用しません。
裁判官は最初から女子の味方で、そのような事実は存在しないことを証明する証拠や証言を一切採用してくれません。
悪いのは男子、かわいそうなのは女の子!
早く謝ってしまえ! 俺たちを早く帰らせろ!
……細かい話を始めるとボクのトラウマ箱からモンスターが這い出してきてしばらくはまともに口がきけなくなるのでこの辺にしておきます。
帰りに、今日は俺ん家でゲームしてこうぜ、と誘ってもらえたら、もう永遠の友情です。
オレは悪くない!
こういうことがあって、女はズルい、信用ならない、なんて思うわけですが、数年以内に好きな子が出来たりして過去の体験とあの娘に抱く虚像との間の板挟みに苦しみ、ついには、あの子だけは他の女とは違うんだ、と思うに至ります。
まあ、ほんとは何も違わないんだとしばらくして気がつく羽目になるわけですが。
閑話休題。
どうでしょうか?
この、決して自分は悪くなく、自身が犯行に及んだという証拠はまったくないにもかかわらず、女性側の証言のみで警察も検事も裁判官も誰も彼もがこぞってお前が悪いんだと決めつけるこの構図、似ていませんか?
思うに、日本人男性の多くにこのような下地があり、故に痴漢=冤罪という条件反射が出てくるのではないか。
小学校の頃のあの苦く忌まわしい記憶が、今になって男性諸氏の思考を歪めているとしたら……。
などと考えていたところ、面白い記事を見つけました。
結婚しなくても思ってた
特に意識してなかったんだけど、女の「感情」については6割だと思っとくのが正解だと思ってた。どうしよっか?
知らねえよ。
はい、この記事自体はどうでもいいんです。
ただの感想文です。
ただの「主語を大きくするな」案件です。
私もそう思ってます。結婚してませんけど。
ただ、この記事のリンクに面白いものが。
両方ともハフホじゃねえか! なんてツッコまないでください!
簡単に意訳すると、男の怒りは正当、女の怒りはヒステリーっていうバイアスが存在してるよ、っていう話です。
記事と、研究結果の信用性についてはその辺に置いとくとして、なんとなく納得しちゃった人がいると思うのです。
そう、私とかね!
その理由についてちょっと考えてみました。
声の高低
あなたに向かって怒っている女性を想像してみてください。
甲高い声で何かわめいていませんか?
あなたに向かって怒っている男性を想像してみてください。
低い声でうなっていませんか?
犬のしつけで大事なのは、声の高低の使い分けだと、どこかで誰かが言っていました。
高い声で叱っても、犬は応援されていると思うそうです。
叱るときは、低い声で、ゆっくりと語りかけるのがコツなんだそうで。
私の知るある女性は、怒っている時、落ち着いた「低め」の声で、怒っていることを「訴え」かけてきます。
私の知るある女性は、怒っていると思われる時、タガが外れてしまったような「高い」声で何かを「叫んで」います。
男性はたいてい、元々声が低いので、感情のままに喚き散らしても低い声です。
しかし多くの場合、女性が感情のままに喚き散らすと、甲高い声になりがちです。
というか、「甲高い」などと形容する時点で、声の高低に対する評価が出ているような気がします。
その人物の怒りが正当なものであるかどうか、判断を分けているのが声の高低だとしたら、女性には不利でしょう。
しかし、女性の男性化が進んでいるとも、女児の声がどんどん低くなっていっているという話も聞きます。
もう何年かしたら、私のこの仮説が正しかったのかどうかが判明するかもしれませんね。
結局は不信「感」
怒っている女性の訴えは信用ならないという先入観であれ、声の高さが信用を失くしているという仮説であれ、男性がまず痴漢被害ではなく冤罪を疑うのは、結局のところ、女性を信用していないからなのかもしれません。
考えてみるまでもないかもしれませんが、あんたのことを信用したわけじゃない、と言われて燃えるのはある一定条件下のワンシーンだけです。
間違っても傷ついたと訴えている女性を前にして言うべきセリフではないですよね。
もちろん、実はカバンが当たってただけとか、実際に痴漢されてたけど実は捕まえた人じゃなかったとかは考慮すべきだと思います。
ですが、そういうのとは別次元で、当事者である場合はもちろん別として。
女性があなたに、今日痴漢にあった、そう訴えてきたのなら。
慮って労わるくらいの余裕は持ちたいものです。
僕らはもう、あの不当に虐げられた小学生男子ではないのだから。