愚者の能書き

愚か者が愚かなりに考えたことを記録する

愚者、能書く。

お題「これって私だけ?」

Writing


愚者たるもの、能書きを垂れねばならぬ。

私は書くことが好きだ。
とにかく書くことが好きなだけで、何か意味のありそうなことを述べたりとか、面白かったり、伝えたいことがあるわけではないのが目下の悩みだ。

私は組み込み系のエンジニアだ、と言って世の中にどれくらい通じるのかわからない。
その仕事は、プログラミングしたり、半田付けしたり、オシロスコープという道具を使って信号を取得したり、それを解析したりする。
さらに、設計したり、作るものの部品を選んだり、部品メーカーに文句を言ったりもする。

で、それらすべての仕事について回るのが、ドキュメントを書く、という作業だ。

私は、このドキュメントを書く作業が、けっこう好きだ。

じゃあそのドキュメントも中身が意味不明だったり、うまく説明できていなかったり、読み辛かったりするのかというと、そんなことはない。
自画自賛ではなく、レビューという行為を通じて得られた他人からの評価だ。

そういったドキュメントと、例えばこの記事のような駄文の何が違うかというと、究極的には書く目的が決まっているかどうか、という点にあると思う。

仕事で書くドキュメントには、それぞれ役割も目的もあって、前もって決まっている。
書くときは、わかりやすくだとか、過不足なく書くとか、そういうこと以前に、どういうことを書けばいいのかが決まっているのだ。
そういうときは、わりとすらすらと書ける。

対して、私のブログはどうだろう。

実のところ、書きたいから書いているだけで、何か目的とか、伝えたいことがあるわけじゃない。
何度でも言うが、書きたいから書いているだけなのだ。

目的があるわけでもないくせに、こうして適当に言葉を並べているうちに、ああでもない、こうでもないと推敲を始める。
で、面白くないなとか、意味不明だなとか、そういうことを考えて書くことをやめてしまったりする。

実は、というほどの話でもないのだけれど、私はラノベ作家になりたかったりする。
ラノベを読むのももちろん好きなのだが、面白い話を読んでもつまらない話を読んでも、自分で書きたくなるのだ。

で、やっぱりあらすじすらろくに書けないままに書き始めるのだけれど、あっというまに書くことがなくなる。

じゃああらすじから書き始めるとどうなるか。
どう考えても面白くなさそうな筋書きが出てくる。
やっぱりすぐに書けなくなる。

お題スロットで、「これって私だけ?」が出た。

ブログなんて、こう言ってはなんだけど、たいていのブログはさして面白くない。
可笑しさ、という意味だけでなく、興味を引かないブログがほとんどだ。

何を偉そうにお前が語るのだ、と思うかもしれない。

しかし、やはり面白くない記事ばかり書く我が身を省みて、実は私だけではないのかもしれない、と思い至った。
じつはみんな、書きたいから書いているだけで、コンテンツとしてこうありたい、というのがある人は珍しいのではないか。
みんな、語ってみたいから語っているだけなのではないか。

なら、私が書きたいから書きたいだけ書いても、なんら問題ないな。

そういうわけで、今日も私は能書きを垂れるのだった。

以上。