読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

FOOL THE APRIL

日常をなんとなく記録するブログ。

萌え絵嫌いの人に読んでほしい、街なか風景の萌え絵問題


togetter.com


読んでみて、特に興味を持ってない人はきっと、この意見に、そうかもね、なんて同意してしまうのかもしれないと思うと、悲しみしかない。


そんなんどっちだってええわ、という人にもちょっとくらい考えてほしいな、と思って、上記まとめを改変してみた。
それほど言ってることは変わってないと、僕は思ってる。






「××××××」が話題になってたけど、私もこういうのは苦手。

「流行」「ファッションの正義」みたいに使うのもやめてほしい。
こういうのを「日本の若者の服装」みたいに、日常的な風景にあっても問題ないという風潮になってほしくない。
理由を書いてみます。



この服装からは、やはり、女性的欲望の発露を感じる。

それも、普通の女性が持つ欲望と異なる、少し歪んだ欲望。
内向的で、未成熟な人間の、現実逃避的な、虚栄心に思える。
(※個人の感想です)

前ツイに「カチン」とくる人はいるでしょうから以下、理由。
こういう服装が似合うのは、ごく一部のスタイルのいい人だけだけど、
誰かと同じ格好をしていれば安心、同じ格好をしてない人はみんなキモいという人に受ける服装だから。
ブス差別ではありません。
私にもブサイク要素はあります。

※補足
「流行の格好をしていれば安心だと思う人=バカ」とは思っていません。
人真似ファッションしかできない女性はほぼ全員、善良な市民です。
誰しも一時的な現実逃避はするし、暗い欲望の炎を心に秘めていても、それを行動に移す人は極わずかな人だけです。



虚栄心を持つこと自体は、人間なら当然の事。
どんな服装だろうと、それが好きな事自体は問題じゃない。
自分に似合うかどうかじゃない、その服装を見るのが好きな人もいる。

ノースリーブ、ミニスカ……何だって、好きな人が、好きなようにやればいい。

どんなに似合わない人でも、作品やフィクションの中で、それらが表現されるのは問題ない。
だからどんなに似合わない服装であっても、作品内で表現され、見た人を満足させるのはよいと思う。
むしろ、芸術が必要とされる理由の一つはこれだと思う。


ガウチョパンツ」も「ムートンブーツ」も「派手なニット帽」も、もちろん問題ない。
「チェック柄」だって、あれが人の心を震わせた理由の一つは、理工学系男子に対するあこがれを満たしてくれたからでしょう。

前述で挙げたような服装のなかには、家の外で着る事自体問題のものもあるし、
着なくとも、その服装を日常的な衆目の前でブスがそれを着たいという妄想を語るべきではないと思う。

それらの格好をしたブサイクを見ると、不快に思う人がいるから。



「私もミニスカートはいてみたい」(足が太いだけでなく形も悪いのに)
「ウチもノーブラになってバストを開放したい」(バストだけでなく全身が重いのに)

気心知れた友達とのおうちファッションショーならまだしも、公共の場でブスのそんな姿観たくない。

だから、やはりファッションも「ゾーンニング」の問題。
量産型の格好をしたブサイクだって、見たい人だけが見るのだから、私は何ら問題ないと思う。
閉じられた空間内で楽しむのなら、問題ない。



「アニマル柄は、街中とか”公共性の高い場所”で着るものじゃないのに、勘違いして怒ってる人がいる」
という反論もありますが、アニマル柄は、服どころかペットボトル、野生生物のパッケージにもなっています。


「流行のファッションが似合うのはスタイルのいい美人だけ!
そういう目で見てるから、ブスには似合わないと思うんだ。お前の方がブサイクだ!」
みたいな反論もあるけど、これには私は賛成できない。

理由は、どっかの誰かさんが、ものすごく的確に説明してくれてる。
ブサイクの流行服装備が何ともないと思う人は、左下の赤いゾーンの人で、感覚が麻痺していると思う。



ブサイクに嫌悪感を抱くかどうか、人それぞれだと思う。
私個人としては、リンク先の右側のブサイク要素削除後のイラストなら、うーん、まあセーフ範囲かな、ぐらいに思う。
セーフ範囲というと偉そうだけど、個人的には嫌悪を感じない、ということ。


「こんなのにいちいち目くじら立てて文句言うな! 一人でも不快に思うものが撤廃されるなら何も表現できない」
という意見には賛同できる。
山本弘さんが、ジャポニカ学習帳から昆虫が消えた話を例にしていたけど、私もこれはやりすぎだと思う。

基本的には、できるだけ表現の萎縮は避けたい。


問題は、アニマル柄のようなファッションに対して、どれだけ多くの人が不快に思うかの「割合」だと思う。
地域や時代によって、受容する人の「割合」は変わってくる。
おっぱい丸出しの裸族だって、その部族内では問題無しだし、
今は普通の靴扱いされてるハイヒールだって、昔はうんこ避けだったんだから。



だから「××××××」は、きちんとアンケート調査をしてみればいいと思う。
ブサイクのミニスカートに限らず、今の日本でこういうファッションがどれだけ受容されるものなのか、個人的に興味ある。
老若男女を対象に、5段階ぐらいにブサイクを並べて、どこまでセーフと感じるか、聞いてみたらいい。

ガウチョパンツについては、私がわざわざ検索して見に行ったのだから、「××××××」に抗議したりはしない。
でも以前、私の好きな観光地が「××××××」で町おこしをしてて、街じゅうに「××××××」ポスターがあって、いやだなーと思った。
だから私個人としては、「××××××」が日本の日常的な風景に存在して欲しくない。


ここまで長い文章を最後まで読んでくださって(多謝です)、
「何だ、フツーの事しか書いてないじゃん。読んで損した」
と思う方もおられるでしょう。
私もフツーの事しか言ってないと思う。
鋭い分析、鋭い意見を提示してるとは、微塵にも思ってないです。


では、なぜこれを書いたかというと、以前にも同じような事を別の場所で書いたら、
流行のファッションを愛好して色んなものを捧げて、心の中心にそれがある人と、
そうではない私のような人の間には、
「 断  絶 」とも言える感覚の違いを感じたから。

ほんとね、嫌な人には嫌なんですよ。


繰り返しになるけど、問題はブサイクの流行ファッション装備を不快に思う人の「割合」(←これ強調)。

私のような人が0.1%なら、私の方が目をつぶるべきでしょう。
でも50%いるなら、街なかの風景からは消えるべきだと思う。

だから、自治体や公共機関が流行ファッションを使うに際は、きちんと意識調査をしてみてほしい。





快・不快の世界だけで話をするってこういうことだと思うんだけど。
きっと言ってる人って、全ての事柄が快・不快の問題だと思っているわけではないんだろうなって。


togetter.com

もっとごくごく単純に、リニューアル後の駅乃みちかに問題を感じない人はボッコボコにしても誰からも咎められることは無いし、咎めて来るのは同類だから同じようにボコしていい、くらいに思ってるんだと思う。




関連するまとめを漁っていたら、こんなのも出てきたのでご紹介。


togetter.com

togetter.com


大多数の人間と同じ考えだから正しい、という考え方が抜けないから、日本の理系教育は浸透していかないのかも。




ちなみに。
日本では虚構新聞の笑い話で済むけど、規制が行き過ぎた社会ではこれは笑い話では済まないということは認識しておいてほしい。


kyoko-np.net