愚者の能書き

愚か者が愚かなりに考えたことを記録する

本当にエッチなのは誰か〜駅乃みちか編


2016/10/18
曇り時々晴れ。
気温が25℃を超えた。


06:50起床、07:30出勤。
どうやら体調は元に戻ったようだ。
来週の健康診断のためにも、積極的に自転車通勤していきたいところ。


いつも通り、仕事中は特に何もなし。
何事も無く今日一日分のタスクを15:00頃終えて、あとはいつものネットサーフィン。


コメント欄が本番シリーズに食い込むだけの気力も見識も持ち合わせていないからブログでちょっとだけ。


togetter.com

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男は女を見る時に「性的にまなざす存在である」とまなざしているのがまなざし村の住人ということでしょうかわかりますん。


まず、僕個人の基本的なスタンスに関して言及しておくと、アダルト表現の何がいけないの? いやエッチなのは悪くないっていうスタンス。
ゾーニングなんかに関しても、興味を持ったり意味が分かる精神・肉体年齢になったなら、きちんと説明すべきは説明すべき。
不快な人は見ない。
実際にすることしてるのに、モザイクで隠してないのはアウトで、隠してあればオッケーというのはおかしいと考えている人です。


で。

僕は、直接的な事に言及すると感情的になって議論にならないことが多いから、別の事例を引っ張ってきて例えるのが建設的な議論になると思っています。
その例えが妥当か妥当でないかがまた争点になって結局意見は合意を見ないまま、というより何があっても絶対に相手の主張は受け入れない、という結論になったとしても、直接的な事態よりは例え話の方がまだ議論になると思っているので、ちょっと例え話をします。


学生時代に受けた国語のテストで、どうしても納得がいかないことがありました。
「この時の主人公の気持ち」シリーズです。
どれだけ本文に書かれている事実を積み重ねてみても、主人公がその心情に至っているとする正解が納得できないものがありました。


例えば、です。


出題者が、こういう見解である、これが正解だ、とした主人公の気持ち。
これについて作者本人が、いやそうじゃない、この時主人公はこう思っていたんだ、だからこの後こういう行動を取ったんだ、と主張したとしましょう。
これを、「出題者と作者問題」と仮称します。


出題者と作者問題は二律背反でしょうか。
片方が正であり、他方は偽なのでしょうか。
僕は、この2つの意見は、同時に成り立つことがあると考えます。


わかったつもり?読解力がつかない本当の原因? (光文社新書)

わかったつもり?読解力がつかない本当の原因? (光文社新書)


最近読んだ本で、ちゃんと読書記録取ろうと思ってまた読み直している最中なのですが、この本はタイトルの通り、文章を読んだ時、どうして読み間違えるのか、どうしてそこに書いていることと違う情報を取得してしまうのか、という問題を扱っています。
この本の中で言及されていた読み間違える原因として、個人的にものすごく膝を打ったのが、背景情報の違いによる読み間違いです。
要素Aについて、どういう情報を読み取るのか、その違いが出るのが背景だと、本書では述べています。
詳しくは本書を読まれることをお薦めします。


で。
この背景情報の違いこそが、「出題者と作者問題」の論点であり、また、同時に成り立つ要因なのです。

「出題者と作者問題」は、簡単に要約すると、こういうことです。

「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」

おいおい何言ってんの、作者が主張してる方が正しいに決まってる、だって書いた本人が、その時の主人公の気持ちはこうだった、って言ってるんだぞ。

僕にもそう思っていた時期がありました。

しかし、しかしです。
それは本当に正しいのでしょうか。

僕はいま、出題者の側に賛成の手を挙げます。


作者が、作者の作中ではなく、誰にも見せない日記帳に書いたのなら、作者の主張は全面的に正しい。
しかし、それが誰かに読んでもらうことを前提にした作品の中でのことならば、それは読み手に委ねられるのです。
誰かに読まれることを企図した作品であればこそ、作者もまた、出題者同様、読者なのです。

あ、これ、「作者と読者問題」とした方が良かったかもしんない。


もっと別の、僕にわかりやすい例えで言うならば、同一のソースコードであっても、ビルドするマシン環境が異なる場合、持っているライブラリの違いによって、出てきたバイナリの姿や挙動は異なる場合があります、かな。


この時の主人公の気持ちは、Aと書かれていることからもわかる通り、Bだ。
いやいや何を言う、Aと書かれているんだから、つまりはCということだ。

これは、この見解の違いは、他の誤読の要因が全て排除できるなら、それぞれが持つ背景情報の違いによるものです。
この背景情報というのは、主人公や物語に対するものだけではないと僕は思います。
つまり、この背景情報というのは、読み手のこれまでの経験そのものを指しているのではないかと考えているのです。


だから、出題者と作者が、双方の持つ背景情報について、互いに理解に努めたとしても理解できない部分が出てくるかもしれません。
その理解できない部分で対立している限り、解決はないでしょう。



ちょっと視点を変えて、では、出題者と作者が意見を違えていない箇所、同一意見である記述については、どうでしょうか。
その見方が、見解が正しいのでしょうか。
唯一の正解なのでしょうか。

これはもう、お分かりですね。
答えは、そんなことはありません、別の読み手にとってはまた別の意見があってよろしい。


もちろん、明らかに書いていないこと、そうは読めないこと、曲解を許容すべき、と言っているわけではありません。
ただ、それが文脈上明らかだ、とする前に、その文脈は万人に通じるのか、ということは気にすべきだと、僕は思います。


……なんかもううまくまとまんないけど、書きたいことの半分くらいしか書けてない気がするけど、今日はもうこれで。