愚者の能書き

愚か者が愚かなりに考えたことを記録する

仲良きことは、本当に素晴らしいのか。

今朝、目が覚めて、唐突に思いついたことがあるので、それについて述べる。
あるいはそれは見ていた夢に起因するものなのかもしれないが、まあそれはともかく、暇なので吐き出してみる。
以下駄文。



「同じ」光景を「見ている」のになぜ「見えているもの」に違いがあるのか。

それは、認知の差によるものではなかろうか。

例えば、家の外に出て、空を仰いだとする。
……まあ、今日は生憎の天気ではあるが、晴れていたとしよう。

するとどうだろうか。
あなたの目には、青い空と、白い雲が映る。
あなたは、そこにあるものが、青い空と白い雲であると認識するわけだ。

しかしながら、見上げるあなたと青い空、白い雲の間に確かにあるはずなのに、全く認識していないものが存在することにあなたは気が付かない。
その存在を知っているはずなのに、まるでそれが存在していないかのように、あなたはそれを意識せず、認識できていないのだ。

そう、それは空気。

空、雲とくれば普通に思いつきそうなその存在を、あなたはまるで認識できていなかった。

だが、例えば天気、気象や、あるいは航空力学やレイリー散乱とかに興味がある人ならどうだろうか。
空、雲と同時に、空気についても認識するのではないだろうか。

僕はこの、見ているものから得られる認知の差を、フィルターの差であると考えた。


認識のフィルター

ある人にとって、味も匂いもない空気は、字面以上に空気なわけだ。

認識のフィルターとは、脳が器官からの入力信号を処理する際に使う、キーワード検索のようなものであると考えて欲しい。
五感の中でも、特に視覚からの入力は情報量が多い。
すべてを処理していては、脳はパンクしてしまうに違いない。
なので、入ってきた視覚情報について、「それが何か」を認識する前に、キーワードで絞り込みをするのである。
このキーワード検索に引っかかったものについては後処理によって認識・認知されるが、引っかからなかった情報についてはその限りではない。
まさに空気。
うん、うまい事言ったよね。

特に視覚に限った話ではなく、現象や事実を見たり聞いたり話したり考えたりする時も、このフィルターは働いていると僕は考える。

  • レッテル貼り
  • 偏見
  • 色眼鏡

僕はこれらもまた、認識のフィルターとみている。
このフィルターの厄介なところは、そこにありもしない事や関係性を、実際には存在しないのに発見してしまったような気になることがあり得る、という点だ。
言葉にはしていない、言外に含まれるニュアンスや背景を、誤読する、とでも言えばいいのだろうか。
それはなぜかといえば、検索キーワードに引っ掛けた結果だから、だと思う。
google先生にエロスと尋ねて、金属製のハンマーが結果として表示されたら、ハンマーはエロい、と思うだろう?
そういうことなのではないだろうか。

さて、前置きが長くなったが、本題はこれからである。
このような前提を踏まえて、男女における(視覚的)認知・認識の差について考えてみた。

男はなぜそれにエロスを感じるのか。
女はなぜそれを可愛いと言うのか。

結論はすでに述べているが、それは、フィルターを通じて認識したからだ。
では、そのフィルターにはどのような検索キーワードが設定されているのか。
それについて愚考を重ねる。


可愛い! + いいね! = カワイイ

女は何かにつけてカワイイと言う。
男からしてみれば、どこがカワイイのかさっぱりだし、その評価を口に出して言うこともわからないし、それについて共感を強要される(反応を示すことを求められ、なおかつ「カワイイ」を返さないと機嫌が悪くなるので実質的に強要されているものである、と考える)のも理解できない。

だが、おそらくだが、女性にとって、その審美眼的フィルターを突破して認識されたものは可愛いものであり、それはいいね!したいものなのである。
肯定的に捉えられてしかるべきものであり、その評価は絶対であって、覆ることはあってはならないのだ。

……たぶん。


エロい! + いいね! = エロい

男にとって、「エロさ」は認識・認知の大事なフィルターである。
何がエロいのか、どれくらいエロいのかは個々人による差異が大きいのだが、総じて「エロい」ことはいいね!に値することなのである。

ただ、それはあまり他人と共有するものではなく、思春期においてはそれを表明することに羞恥を覚えるし、女性に言うとなぜか嫌がられるので、おおっぴらにすることではないのである。
もしもエロさに全面的にいいね!する社会であれば、男たちはもっと共感を求めていたはずだ。
男たちが基本的に寡黙であり共感を求めないのは、本人の意識とは逆にエロいことはいいね!されない社会だからだと言える。

……かもしれない。


お題:エロ可愛い

ひと昔前に流行った、エロ可愛い。
あれを、上記の男女の認識に基づいて紐解くとこんな感じか。

  • 女:(エロ)可愛い
  • 男:エロ(可愛い)=(かわ)エロいい

AND検索であっても、比率の大きい方が違うので、同じ女性を見ていても、男女で感想が分かれるのは当然の結果と言えよう。


フィルターは解除可能なのか

人の話を聞く時のコツは、なるべくフィルターを外して、解釈を交えず、ただただ単にひたすらに「聞く」ことにあるという。
話を聞いた時に出てくる、自分としては当然の反応を全て一度保留して、ただ聞く。

そのためには、自分がどのようなフィルターを持っているのかを知らねばならぬ。
このフィルター論を論じていることさえフィルターなのであるという特大ブーメランなのだが、しかしこれは「我思う、ゆえに我あり」レベルの、人間の意識の基本レベルの話だと思う。

以前、こんなのを書いた。

fooltheapril.hatenadiary.jp

結局、

予期せぬ相手に性的対象に思われることの「気持ち悪さ」


を理解することはできなかったのだが、果たしてこれは、僕が有するフィルターの為せる業なのだろうか。
そしてそのフィルターは、外せるものなのだろうか。


わかりあえないことを悪とすることもまたフィルターなのではないか

相互理解や共感、絆という名の連帯などがとかく取り沙汰される昨今ではあるのだが、果たしてこれらは、本当にいいね!に値することなのだろうか。
これもまた、誰かが用意したフィルターなのではないのだろうか。

たとえ理解、共感できなくとも、いいや、もっと踏み込んで憎んでさえいたとしても、相手を尊重する、ということは可能なのではないだろうか。




寝起きに思いついたにしてはまともなテーマだったと思うのだが、結局投げっぱなしになるのはいつものことか。
というわけで、またね。