愚者の能書き

愚か者が愚かなりに考えたことを記録する

群れの話と群れる話。

「響け!ユーフォニアム」噂の8話を観た。

高坂さん、良かったね、とか、これってNARUTOのナルトとサスケみたいなもんだよなとか、俺ガイル続の「本物が欲しい」は「俺の」本物になって欲しい、だと思うからこれも同じだよな、とか。
とか。

まずはそういうことを思った。

で、使い始めたばかりのworkflowyでよくわかんない持論を展開し始めた。
指が止まった頃合いではたと立ち止まって、俺は何がしたいんだろう、と首を傾げた。

大体の趣旨は、男は「好き」に対して個人主義的であり求道者的であるが、女は群れの形成の道具としてこれを使い、時に群れの維持のためにその前提を覆す、的な話を展開していた。

問題は、それが当を得ているかどうかじゃなくて、その話をブログに書いて何がしたかったんだろうか、ということだ。

「リケジョ」はようやく求道者としてのスタンスを確立した女性に、そのスタンスを共有しない者が付けたつまらないレッテルのはずなのに、当の本人たちがそれを受け入れているのは結局のとこ、異端として迫害されてきた、あるいはそういう異端としての自覚があったからが故の、歪んだ「群れへの適応願望」の表れなんではなかろうか、とも書いている。

どうして僕はそんなことをツラツラと考え続けたのだろうか、ということだ。


僕はたぶん今、家族という群れ以外には属していない。

居心地はもちろんいい。
結局人間の集まりだから、多少の衝突はあるけど、深刻なことにはならないし、たぶん家族の誰もそういうのを深刻に捉えたことがないんじゃないかと思う。
そういうことをわざわざ話し合ったりする家族でもないし。

このスタンスが、僕にはすごく合っていると思う。
これを是とする家族だから、この群れは維持されているんだと思う。

正味な話、内輪の話で恐縮だが、例えば僕は父をあまり好きでない。
仕事はできるし、頭もいい。
が、性格は悪いし、考え方は独り善がりで、苦手な科学の話が少しでも混ざると話に論理性を欠くがそのことをいくら指摘しても自分の間違いを認めない。
タバコを吸うところも、人一倍クチャラーを嫌うくせに自らもクチャラーであるところなんか最低だと思う。

でも、僕はそんな彼を、愛してはいると思うのだ。

他人を理解するなんてことは絶対にない。
勝手に共感を得て、そして時としてそれがそう的外れでないだけだ。

群れを維持しようと思って行動すること、それが悪いとは決して思わない。
何がしかのトラブルによって群れが崩壊しようとする時に、それを避けようと行動するのはいいことだと思う。

群れを維持したい本人にとっては。

でもそれは、他の群れの構成員にとってもいいことである場合だけだ。

多くの場合それは、維持したい人だけにとってのいいことであることが問題なのだと思う。


僕は会社への帰属意識なんぞ持ち合わせていない。
地域社会だって、治安と利便性さえよければそれで構わない。
絆だの一体感だの街の景観だの、そんな面倒なことを言い出したら、僕は生まれてからほぼずっと住み続けているこの街をあっさりと捨てていくだろう。
己の、何がしかの、適当なアウトプットが、全く知らない他人に、自分の思いもよらない形で、知る由もなく利用される。
そこに、そのことに、情緒的な何かが介在する必要は全くない。
これこそが都市生活の醍醐味じゃないだろうか。


なんのかんのと長くなったのだけれど。
結局何が言いたかったのかというと。

こういう高坂さんみたいな、自分の好きなことに没頭する、できる、そういう女性が増えるといいなあ、ってこと。

完全に勝手な妄想だけど、高坂さんが許された(群れを維持するための行動をせずともあからさまないじめにさらされなかった)のは、高坂さんが美人だからだろうと思う。

甘々と稲妻(4) (アフタヌーンKC)

甘々と稲妻(4) (アフタヌーンKC)

最近読んだ、上の漫画に出てくる、幼稚園のお遊戯会の話。
主人公つむぎの友達が、自分がやりたい役と違う役をやりたがるつむぎを理解できず(その友達はつむぎと「一緒に」「同じ役」をやりたかった)、あからさまに避ける描写がある。

形は違えど、こういう女子の光景は学校生活の中で何回か見てきた。
そのままいじめっぽいものに発展したケースもあれば、また同じグループに戻ったケースもあった。
きっと元サヤっぽく見えたケースでは、迫害された方が色々と折れたんだと思う。


美人だから「勝手」が許されるのではなく。
違うことをしても、好きなものが違っても責められない群れがいい。
同じことが群れの条件だというのなら、群れの維持を「違う」メンバーに強制するべきじゃない。

うまく締まらないけど、きっとたぶん僕はそういう話がしたかったんだと思う、よ?