愚者の能書き

愚か者が愚かなりに考えたことを記録する

伝わらなくても伝えたい、大事だと思えるようになったこと

先月、元旦の計はタスクにすべし、という記事を書いた。

一年の計はタスク化しよう

以来、意外とタスク管理にハマってしまった。
今では駐車場代の振り込みや毎月の書類提出から、家族の慶事の準備や旅行計画企画まで、なんでもタスク管理アプリに打ち込むようになった。

完了したタスクにチェックをつけるのは、もちろん快感だ。
タスクを登録する際に、作業をよく考え、必要なら分割するという工程もタスクへの理解を深めるのに役立つ。

だが、なによりも重要だと、大事だと気付けたことがある。
齢30を超えて今更かよ、と思う人も多いことかと思う。

目標を立てるって、大事。

成したいことを形にする、目に見える形にする。
目に付くと、義務感も生じる。
タスク化にはそういう側面もある。

でも、それ以前に。

何を成したいのかを考える。
それをどうして実現したいのか、実現したらどうなるのか。
それを考えることに意味があるんだと思う。

前に進む。
言葉にすると陳腐なんだけども。

結局、目標を立てるって、そういうことなんだと。

ようやくわかってきたように思う。



これまではそう、なんというか、人からそう言われて、あーはいはい、わかるわかる、って、そう言いながら、思いながら、やらされてきた。
決して自発的なことじゃなく、ましてや前向きなんかでもなく、妥協の産物として、結果として目標を立てさせられてきた。
目標とか、やる気とか、努力とか。
そういうのが大事だって、お題目を唱える大人がいて、斜に構えているわけじゃなく、処世術の一つとしてやらされてきた。
子供には、って二十歳なんかとっくに超えたおっさんが言うのも恥ずかしいけれども、そういう側面が少なからずある。

だから真剣に物事に取り組んでいる友達や同年代の少年少女を見た時に、小馬鹿にしてしまうのだ。

ばっかじゃねーの? 大人の言うことなんかに騙されて。
あいつらにはテキトーに、表面だけ従っておけばうるさいこと言わないんだから。
大人は俺らのことなんてなんもわかんねーのにさ。

そう思いながら、でももしかしたら気付いているのかもしれないし、ただ単純にその成果に驚いているだけかもしれないけれど。
真剣にやってる奴がカッコイイと密かに思うし、嫉妬する。


結局のところ、そして何事もそうなのだけれども、自分で気付くしかないのだ。
そうして、それがわかったとしても、気付いた者としては、気付いていない者たちに、言葉で言うしか方法がない。

目標とか、努力とか、やる気とか。
そういうの、大事だよって。

大人の建前に聞こえるかもしれないし、信じるに値しないと思うかもしれないけど。
少なくとも今の世の中は、そういうのが大事だと思う人々によって動かされている。