愚者の能書き

愚か者が愚かなりに考えたことを記録する

できるできないやるやらない。

どうしても積読しがちな技術書をどうにかこなすために、
速読に関する本を買って、色々と試していた時期がある。

その中にフォトリーディングの本があって、
試してはみたのだが、なかなかうまくいかなかった。

それに、
そのあとに読んだ幾つかの本では、
フォトリーディングにはある種の才能が
必要であり、また、他の速読法と同じく、
知っていることは早く読める(理解できる)けれども、
知らないことは理解できない。
そう書いてあった。

最近になって、
フォトリーディングのことをふと思い出し、
そういえば文字でなく、文字通り行間の、
空白部分を見るようにするのだ、
そう書いてあったことを思い出して、
ちょこっと実践してみた。

すると確かに、視野が広く明るくなって、
たくさんの文字が目に入って来ているように
思えた。
以前試してみた時には
感じなかったことだ。

残念ながら、
だからと言って即フォトリーディング
できるようになったわけじゃない。
というよりも、相変わらずフォトリーディングというもの
自体には疑問を感じている。

だが、体感的な出来事ではあるけれども、
だからこそ事実は事実だ。
だまし絵や錯覚を利用した絵を見ている時の様に、
コツさえつかめば同じ現象を何度でも
体験できる。

これが何の役に立つのかは不明だが、
もしかしたら少しでも積読解消に貢献するかもしれない。

人間万事塞翁が馬
できないことがやらない理由にはならない。
最終的には結局できないかもしれないが、
その過程で何か見つかるかもしれない。



「まず「できます」と言え。やり方は帰り道で考えろ。」
タイトルにはもう少し尾ひれがついていたと思うけれど、
少し前にこういう本が出版された。

中身もあらすじも読んでいないけれど、
これが自己啓発的なビジネス書で、
仕事に関する本だとしたら、
あまりにも無責任な話だ。

やる前から諦めるな、とか、
チャンスはやってきたら必ず掴めとか、
最終的に目標を達成できたからいいじゃないかとか、
きっとそういうことなんだろうと思うのだが、
もし上記の憶測が全て正しいとしたら、
僕はこのタイトルの主に
言いようのない嫌悪感を感じることだろう。
周囲を巻き込む、とかいう発言を聞いた時と
同様の反応だ。
虫唾が走る。



なんだよ前半と後半で主張が
食い違ってるじゃないか、なんて
思ってくれる、
ちゃんと読んでくれている人が
どれだけいるかわからないけれど。

個人の範囲で為すことは、
できるかどうかではない。

やりたければやればいいし、
やりたくなければやらなくていい。

しかし、こと仕事となれば
そうも言ってられない。
そんな無責任は許されない。



結局何が言いたいのかというと。
公共の場では他人の迷惑を考えろ。

つまり。
ハロウィーンだかなんだか知らないが、
公道ではしゃいで他人様に迷惑かけるんじゃねえよ、
このクソ親どもが!!!!!!


ってこと。