愚者の能書き

愚か者が愚かなりに考えたことを記録する

「臭い」論考

今日は臭いについて考えてみたい。

ところで、タイトルの「臭い」の部分、貴方はなんと読んだだろうか。
こちらとしては、「ニオイ」と読んで頂いた上で、以下を読み進めて頂きたい。



私はアレルギー性鼻炎を患っている。
アレルゲンはハウスダストとスギ花粉である。
あと、確かウールもダメだったはず。
子供の頃からの付き合いであり、幾つかの治療を受けてみた事もあるが、
いずれも根治治療には至らないため、
近年ではスギ花粉の季節でさえノーガードで過ごしている。



なので、私の鼻が通っている、
即ち嗅覚を働かせる事が出来る時間というのは、
人生全体でカウントしてみても、
常人の10分の1程度か、
或いはそれ以下なのではないかと
思っている。



しかしながらこの事は、
私の嗅覚が十分な能力を有さない事を意味しない。
むしろ、私の鼻が嗅覚として役割を果たす時、
他人と比べて鋭敏ですらある。
女性3人を含む8人の人間と
どれくらい遠くからニオイをキャッチ出来るか、
またそのニオイが何のニオイであるかの嗅ぎ分けについて
比べてみた事があるのだが、
私の嗅覚は
最も嗅覚が鋭かった女性と同等の能力を有していた。



また、そうして嗅覚の能力を比べている最中に
分かった事がある。

それは、私の場合、
ニオイと、それへの好悪の感情との繋がりが
極めて薄い、ということだ。

例えるなら、犬猫みたいなものだと思って頂きたい。
女性のブーツが臭いと分かっていながら、
何故か毎度嗅ぎに行っては顔をしかめて逸らす、
あれと似た様なものだ。





最近、スメハラという言葉を良く見かける様になった。

スメハラというのは、要約すると、
「おっさんはクサい」「男はクサい」という、
いかにも女子中高生が言いそうなものだ。

まあ、こういうハラスメントの話を取り上げる時、
雑誌であれwebであれ、その声の主というのは女性だから、
仕方が無い事なのかもしれないが。

たまに女性の化粧や
シャンプーリンストリートメントに
洗剤柔軟剤のニオイが混ざって
やべぇ、みたいな男性の意見も
見かけるが、ごく少数である。



とにもかくにも、クサい、
それはもはや公害だ、
嫌がらせだハラスメントだ、
というものである。



確かに、電車の中なんかだと、
ニオう男、ニオうおっさんは多い。
かく言う私も例外ではない。

汗臭かったり加齢臭だったり雑菌臭かったりするわけだが、
しかし、私からすると、ただそれだけである。

前述の通り、
私はニオイを感じても、
それに好悪が伴う事はごく稀である。

確かにニオイはする。
だが、それだけである。
なんぞ騒ぐ必要があるのだろうか、
ってなもんである。
ついでに言えば、嗅覚というのは慣れるものである。
いつまでもそのスイッチをONにしたままではいられない
器官なのだ。
ちょっと待てば、大抵のニオイは感じなくなる。



つまり何が言いたいのかというと、
スメハラというのは、感情をコントロールさえすれば、
大抵の場合、やり過ごせる事なのではないか、
相手を槍玉に挙げて騒ぐほどの事ではないのではないか、
ということだ。



むしろ、ハラスメント、という意味では、
主客が逆ではないか、とさえ思っている。

「クサい」という言葉が、
いじめの現場でどれだけ使われているか、
どれだけ傷つく言葉か、
知らない、想像出来ない人というのは、
あんまりいないだろう?



ハラスメントという言葉を、
唱えるだけで被害者になれる魔法の言葉だと
思ってやいないだろうか。
ことスメハラに限って言えば、
相手を傷つけるだけの言葉になっていないか?



無駄に長い上にまとまりに欠ける話で
恐縮だが、要するに、
己の感情が、たとえ大多数の人が感じているものと
類似していたとしても、
だからといってそれが何か、
超重要な決定権を持つ重大な事実になるわけじゃない、
ということだ。

感情を切り離して客観視出来ない、
それこそ幼稚って事じゃないだろうか。