愚者の能書き

愚か者が愚かなりに考えたことを記録する

英語なんてぶっとばせ

最初に断っておくと、私は東京五輪反対派である。


騒がしい連中が大挙して押し寄せるという事態を
回避出来るならば、爆破テロすら辞さない。
そんな心持ちである。


さて。
昨今、この忌むべき東京五輪に併せて、
もっと英語でコミュニケーションを取れる様にしよう的な
話題を良く聞く。


ふざけんな。
huza-ken-na.
Put your hands up.

なにか?
五輪開催中、
日本国民を全員、某ネズミの国のキャストの様にしたいのか?


おもてなしか?
みんなでおもてなしなのか?


お・も・て・で・ろ。


英語は世界語、
なんて思い上がったCMも一時期あったけれど、
それが文化破壊と侵略の歴史そのものだという
事実に目を瞑って、
実は英語圏ってそんなに広くないんだぜ、
っていう点で3歩くらい譲れば、
たしかに、ホワイトカラー相手に世界でビジネスする上で、
英語というのは、聞くのも話すのも書くのも、必須のスキルだろう。


だがしかし、世界を相手にビジネスする気の無い、
例えば私みたいなただのおっさんに、
英語でコミュニケーションが取れる必要性があるか?


無い。
いや、無い。


英語が出来なくて困るのは、
Xcodeの吐き出すエラーの意味が
分からない時くらいなものだ。


たとえば、五輪開催中、
道に迷った、英語を話す外国籍の人に、
私が駅までの道のりを訊ねられたとしよう。


英語で。
Excuse me !



一体、何様のつもりなんだろうか。



郷に入っては郷に従え。
せめて片言の日本語で話しかけるのが礼儀ってもんだろうが。


Don't order me in English !
This is Japan, you should speak in Japanese !


って言えば通じるのか?




いつのまにやら、
小学校でも英語教育が始まったようであるが、
正直、馬鹿を量産している様にしか思えない。


これは、子供が成長した姿であるところの
大人を見ればすぐに分かる。


義務教育レベルの科学知識も持たず、
論理性を検証する事も、
論理的に意見を構築する事も出来ず、
己の感情のみが唯一の正義と声高に叫ぶ連中が
これだけ溢れているのだ。

母語母国語が同一であるという、
ある意味で極めて恵まれた状況下にあっても、
これだけの数の馬鹿を生み出すのが
日本の教育である。


こんな現状から、
さらに必要な教育の時間を削って
英語の時間を設けるとなるとこれはもう、
馬鹿を量産していると言っても過言ではあるまい。

よしんば、
狙い通りに、英語が喋れる子供が、
ひいては大人が増えた、としよう。


もちろん、
彼らは科学知識も
論理的思考力もないわけだが、
そこは置いておくとしよう。

それで、その彼らが、
英語話者とコミュニケーションを取ったとしよう。



するとどうなるか。



以前よりも、
衝突の回数が増え、
戦争のリスクが高まるだろう。



なぜなら、彼らは知らないからだ。
英語話者の、文化や歴史と言った背景を、
決して英語話者というひとくくりで括れぬ
人々の根底にあるものを学んでいないからだ。

英語というツールでコミュニケーションが
取れてしまうばっかりに、
英語でコミュニケーションを図れぬ日本人では
生じなかった摩擦が生じてしまうわけである。


しかも、馬鹿なので、
摩擦は大きくなるばかり。




付け焼き刃な英語教育なぞ、
国民総プログラマと同じくらい、
百害あって一利無し、
ということである。


英語が話せるだけではなんの意味も無い。
それはC言語で"Hello world"とディスプレイに
表示出来ることと大差ない。


知性、知識に支えられてこそ、
英語であれプログラミングであれ、
初めて道具は力を持つ。


というわけで、
私は東京五輪開催反対派で、
英語で話す気は全く無くて、
義務教育に英語を取り込む事自体、
無意味だと思っている、
という話、でした。