卑怯者はどっちだ
実際に紐解いてみたところ、昔の手帳にはそんなにたくさんはメモしてなかった格言シリーズ。
今回のは最近の読書から。
「卑怯なのは君の方だ。自分で事態の打開をするわけでもなく、対案を打ち出すわけでもないのに、ただセンチメンタリズムで他人を批判している。可哀想だからなんとかしろと喚いている。」 八代通遥 p.173
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原発、オスプレイ、沖縄基地問題、デモに、保育園落ちた日本死ね。
もちろん「本物の意見」も含まれているのでしょうが、大半は「可哀想だからなんとかしろと喚いている」状態だと思っています。
僕はこれが、自らの(本当の)無知・無能をウリにするテレビタレントと同じくらいに嫌いです。
こんなに弱い僕だから、なんとかして。
こう言っている様にしか聞こえないんです。
なので僕は無慈悲にこう応えます。
「嫌です。自分でなんとかしてください」
以前、生活保護ネットワーク?みたいな名前の市民団体?のようなものから電話がかかってきました。
曰く、助け合いを信念に活動している我々の代表に清き一票を、的な。
もちろん僕は断りましたが、何故か相手が、なんでじゃー! と食いついてきまして。
なんでじゃーもなにも、自分の財産を自分のために使えない様なシステムを作ろうとしているやつに、なんで投票しなきゃならんのかと。
何かあった時、あなたも困るでしょう、と言われましたが、僕はそれにも素直に、そうですね、と答えました。
相手は、でしょ、でしょ、だからね、と続けてきましたが、僕はそれとこれとは別です、もうお話しすることはありませんと電話を切りました。
強者かどうかは知りませんが、確かに僕の意見は現状の立場からの意見でしょう。
それは全くもって同意します。
じゃあ相手の立場に立って考えてみて、と言われても、僕は非常にありがたいことに、幼少期は両親のおかげで、就職後は自らの働きにより、深刻な貧困や飢餓に喘いだことがありません。
想像くらいできるだろ、と言われれば想像くらいしますけど、法律とか論理とか僕の信じる正しさとかを捻じ曲げていい理由にはなるかもしれないと想像はできますが、じゃあそれを許容せよと言われたら、やっぱりダメです、と言うしかないでしょう。
というか、たぶんですけど、僕の場合、そういう立場になってしまったら、わりとあっさり死を受け入れそうな気がします。
話が逸れましたけど、じゃあ、逆に、こっちの立場になって考えてみてくださいよ、あなたは誰かが、困っているからこちらからはなにもしないけど助けて、って言われたら、自分のリソース手放せますか。
後続の誰かのために、いつか返ってくるかどうかもわからない何かのために投資しろと言われても、ちょっと難しいんじゃないですかね。
無駄に熱くなって話が逸れまくっている気がしますが、兎にも角にも、「建設的な話し合い」が出来ないんじゃあ、こっちも相手しないよ、っていうのが僕のスタンスです。
「保育園落ちた日本死ね」は元々はそうですが、空に向かって叫ぶのは個人の自由なのでいいんです。
ただ、己の弱さを武器にして、他人の人の良さに付け込むようなやり方は気にくわない。
ああ、これはいいんですよ、別に。
僕は足元に掘った穴に向かって叫んでるだけなんで。
対症療法という言葉が人口に膾炙し過ぎて、対義語が忘れられてない?
昔の手帳からシリーズ第7弾。
対症療法の対義語、なーんだ?
絶望に囚われ、諦念を悟りであるかのように語り出した時から、人は対処療法をもってしか世界と対せなくなる。
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答えは原因療法でした。
全裸ぁ、お前な、勝手に絶望してんじゃねえぞ、それじゃあ対症療法にしかならねえじゃねえか(対処療法は誤り
前に何かのweb記事で、会議の場で「そもそも論」を出す奴は場をかき乱すことしか考えてないので無視、みたいなことが書いてあって、バカじゃねえの、と思ったことがあります。
いや、ある意味で、それを今言うかよ、と思うこともあるでしょうが、それってつまり、ベースの意思統一すら図れてないってことですよ。
そんな状況下でね、その会議に出席しているメンバーで何かを決めようっていうのがそもそもの間違いなんじゃないでしょうか。
あ、またそもそも論出しちゃいました。
これはあくまで僕の意見ですが、そもそも論が出るのって、本筋から逸れまくってるか、或いはやろうとしていることが対症療法か原因療法のどっちかしかない時だと思うんですよね。
閑話休題。
まあ、多くの場合において、可能性を信じて原因療法を提案した結果、変化を恐れる大多数の人間から反対されて対症療法的な選択肢しか取れないんですけど。
対症療法的な手段が取られた時に、軽んじられてると感じて原因療法をこちらから提案するくらいの人間にはなりたいかなあ、なんて。